趣味のことを気ままに書き並べていきたいと思います。

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※ニャがとは全く関係のない記事です。精神的に不快になる方もおられるかもしれません。
  あらかじめご注意ください。

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2年。

震災から2年が経ちました。
光陰矢の如しとはよくいったもので、
過ぎてしまうと本当にあっけなく時間は過ぎています。

私は宮城在住で、当時被災しています。
直接的には大きな被害はなかったものの、震災後の報道や、傷痕や、精神的な蔭は
消えることなく今も残り続けています。


震災が起きた時、船酔いのような不愉快な胃袋を揺さぶられる感覚が
長く続き、屋内から外に避難した時に、グラグラと地面や建物全体が長い間
揺れているのを、肉眼ではっきりと確認しました。

長い間停電があり、夜にろうそくの灯りの中居間で家族で見たワンセグテレビの
小さな画面で、津波で流されてしまう方の映像が流れていました。
「お母さん!」という、母親を津波で流されてしまった女性の叫びが
目と耳にいつまでも残りました。

食料の買出しや用事で車を出すと、地盤の緩い地域では倒壊した建物が
たくさんありました。
「ハ」の字になって、上から掌で押しつぶされたかのように崩れかけていました。


2011年の3月11日からしばらく経ってから、被害の大きかった沿岸部に
行ったことがあります。
悪い言い方をすれば、見物にいったのです。
足を運んだ場所からほど近い、車ならば10分程度しか離れていない距離に
一時期住んでいた事があり、気にかかっていたのです。
2011年5月14日のことです。

そこは、瓦礫や埃や泥土が入り混じった土地でした。
道のそばに並んでいた田園風景は、殺伐とした更地とも泥土とも
いえないような地面になり、本当ならば水の張られている田んぼだった場所は、
とても稲を育てることのできる土の状態ではなくなっていました。

編110514_162716


撤去までまだ手が回らず、道端に車や船が打ち棄てられたままでした。

110514_161759編

110514_161931編車


そして、かさついた地面になった、田んぼだった場所では、ぽつりぽつりと
自衛官の方が点在し、瓦礫となってしまったものの撤去や回収作業を行っていました。

編110514_162729

編110514_162722


被害の特に大きかった地域へ繋がる道は2月経っても部分的に封鎖されたままで、
国道から車で10分程度の距離にそんな光景がありました。

元々その場所にあった何かが決定的に壊れてしまったようでした。





あの日から2年が経ちました。
震災の後、死を身近に感じることが増えました。
地震が起きると、大きさに関わらず鳥肌が立ちやすくなり、トラウマになったようです。
見た目の風景は震災前に近づいても、あの時目に焼きついたままのあの姿は、
忘れることはできません。
2月経っても、2年経っても、戻らず直らないものも、存在します。

私にとって被災した直後の状況と同じくらい大切なものです。
たとえ悪いことや嫌なことであっても、どうしても忘れられないもの、
忘れてはいけないものが、確かにあります。

夕食で、震災の時の話をしました。
まだ存命だった祖父と、暇潰しにろうそく灯りで将棋を指した話をすると、
祖母が少し笑っていました。

この被災後の残像はいつか、どこかで、だれかに、起こりうる光景なのかもしれません。
いつも通りの一日が始まって、終わって、また明日が始まるのは
ありがたいことなのかもしれません。


震災によって亡くなられたすべての方のご冥福をお祈りいたします。
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2013.03.11 / Top↑
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